イヤホンを片方ずつ付けて音楽を分け合ってる若者を見て自分の学生時代に想いを馳せる23時
お久しぶりです。
今電車の中で、イヤホンを片方ずつ付けて2人で音楽を楽しんでる若者を目の前にしてます。
なんだか懐かしい光景。
もちろん、僕が学生の時にはスマホなんて無かったわけでもっぱらCDプレイヤーでしたけど。
そうそう、途中からMDが出てきてそのコンパクトさと音飛びの少なさに感動したっけ!
そんなことを考えていたらふと学生時代のことを思い出したので、ちょっと書いていこうとおもう。
実は僕は高校に1年遅れて入学している。
中3の時に受験に失敗してすべり止めの高校しか受からず、でもどうしても行きたい高校があったから親に土下座してもう1年チャンスをもらった。
いわゆる高校浪人ってやつ!
毎日中学の時の制服を着て同級生が高校に通う中、自分は近くの予備校に通う。
最初はすごい悔しかったけど、今思えばその時に出会った友達と今でも地元に帰ると一緒に酒を呑飲むような関係を続けているのであながち出会いのあった良い1年だったとおもう。
その予備校にいるのは
ヤンキーだったり
引きこもりだったり
外国から帰ってきたばかりのやつだったり
色んなタイプの人間がいた。
でも不思議と軋轢とかイジメとかはなくてみんな仲良しだった。
人数が少なかったってのもあるんだろうけど、それよりも同じような経験をして近い価値観を持っていたからだとおもう。
そりゃヤンキーと引きこもりでは常識の感じ方なんて全く違ったし、考えや行動も違った。
でも同じような価値観は持っていたんだとおもう。近い価値観を持つことで同じコミュニティの仲間って意識があって、だから仲良しだったんだろう。
ここ最近、
「常識とはなんぞや?」
と毎日うっすらと考えているんだが、つまるところ常識なんて人それぞれで色んな見方がある。
例えれば、絵の具のグラデーションのように近い色でも微妙に違うってことに近い。
青と碧のような。緑と深緑と黄緑のような。
ちょっと不思議だと思いませんか?
皆同じような学校教育を受けて生活していたのに、考え方とか常識には違いが生まれる。
もっと言えば価値観だって違う。
でも何か似たような共通の体験をすることで、そこにまた新しい価値観が生まれ、常識の色が違う人達が1つのコミュニティの中で仲間になる。
何を書きたいのかよくまとまっていないのはいつも通りなのだが、、、、、
人生の中で若い時の1年の差なんてすぐに取り返せるし、短期的に見れば遠回りのような経験でも20年も経てば近道だったなと思えるくらいには人間は成長できる生き物です。
ってことくらいは言っておきたい。
なんてことを考えながら歩く23時。
そう言えば電車の中で見た彼らが聞いていた音楽って何だったんだろう?
どんな音楽だったとしても、20年後にいい思い出になってることを祈る。
明日も良い日でありますように!