さよなら豆腐メンタルな日々よ

1日のPVがビタミン剤の摂取量程度ですが

人間の3大欲求が少なくなった先にあるもの。

歳をとると、自己欲求がだんだんと少なくなってきます。

 

物欲もそうですし、人間の3大欲求も少なくなってきます。

 

特に性欲なんかは。

 

一応まだありますけど(笑)

 

それでも30代後半になってきて、それこそ20代の頃よりも色んな欲求が少なくなってきました。

 

で、

 

その自己欲求がなくなった先には何が残るのか?

 

って考えてたら、ふと浮かんだのが

 

「愛」

 

なんじゃないか

 

と気づいたので、今日のブログはそのことについて。

 

 

歳をとるとみんな丸くなるってよく言われます。

 

その角が取れるって、実は欲求が少なくなっていくことなんじゃないかと思ったんです。

 

目立ちたい。

強くなりたい。

評価されたい。

 

〜が欲しい。

〜といい感じになりたい。

 

そんな欲求の塊が少しずつ削れていき、自己欲求よりも周囲に対して与えることに喜びを感じるようになる。

 

ってことは自分に対する欲求が減ってくると、それを補おうとして今度は他人の欲求を叶えたいって思うようになる。

 

これって『愛』じゃね?ってふと今朝思いました。

 

 

なので僕はこのまま行けば、割と早い段階で仙人レベルに到達して、最終的に亀仙人のような煩悩まみれのナイスミドルになるでしょう!

 

 

かしこ

イヤホンを片方ずつ付けて音楽を分け合ってる若者を見て自分の学生時代に想いを馳せる23時

お久しぶりです。

 

今電車の中で、イヤホンを片方ずつ付けて2人で音楽を楽しんでる若者を目の前にしてます。

 

なんだか懐かしい光景。

 

 

もちろん、僕が学生の時にはスマホなんて無かったわけでもっぱらCDプレイヤーでしたけど。

 

そうそう、途中からMDが出てきてそのコンパクトさと音飛びの少なさに感動したっけ!

 

そんなことを考えていたらふと学生時代のことを思い出したので、ちょっと書いていこうとおもう。

 

 

 

 

実は僕は高校に1年遅れて入学している。

 

中3の時に受験に失敗してすべり止めの高校しか受からず、でもどうしても行きたい高校があったから親に土下座してもう1年チャンスをもらった。

 

 

 

いわゆる高校浪人ってやつ!

 

 

 

 

毎日中学の時の制服を着て同級生が高校に通う中、自分は近くの予備校に通う。

 

最初はすごい悔しかったけど、今思えばその時に出会った友達と今でも地元に帰ると一緒に酒を呑飲むような関係を続けているのであながち出会いのあった良い1年だったとおもう。

 

 

その予備校にいるのは

 

ヤンキーだったり

引きこもりだったり

外国から帰ってきたばかりのやつだったり

 

 

色んなタイプの人間がいた。

 

でも不思議と軋轢とかイジメとかはなくてみんな仲良しだった。

 

 

人数が少なかったってのもあるんだろうけど、それよりも同じような経験をして近い価値観を持っていたからだとおもう。

 

 

そりゃヤンキーと引きこもりでは常識の感じ方なんて全く違ったし、考えや行動も違った。

でも同じような価値観は持っていたんだとおもう。近い価値観を持つことで同じコミュニティの仲間って意識があって、だから仲良しだったんだろう。

 

 

ここ最近、

 

 

「常識とはなんぞや?」

 

 

 

と毎日うっすらと考えているんだが、つまるところ常識なんて人それぞれで色んな見方がある。

例えれば、絵の具のグラデーションのように近い色でも微妙に違うってことに近い。

 

青と碧のような。緑と深緑と黄緑のような。

 

 

ちょっと不思議だと思いませんか?

 

皆同じような学校教育を受けて生活していたのに、考え方とか常識には違いが生まれる。

 

もっと言えば価値観だって違う。

 

 

 

 

 

でも何か似たような共通の体験をすることで、そこにまた新しい価値観が生まれ、常識の色が違う人達が1つのコミュニティの中で仲間になる。

 

 

 

何を書きたいのかよくまとまっていないのはいつも通りなのだが、、、、、

 

 

人生の中で若い時の1年の差なんてすぐに取り返せるし、短期的に見れば遠回りのような経験でも20年も経てば近道だったなと思えるくらいには人間は成長できる生き物です。

 

ってことくらいは言っておきたい。

 

 

 

 

 

なんてことを考えながら歩く23時。

 

 

 

そう言えば電車の中で見た彼らが聞いていた音楽って何だったんだろう?

 

どんな音楽だったとしても、20年後にいい思い出になってることを祈る。

 

 

 

 

 

明日も良い日でありますように!

 

 

 

男が風俗に行く心理の奥には何があるのか的な話ってやつ

ここ最近、風俗ってなんぞや?ってことをボーっと考えておりました。

 

もう料理人なのにwww

 

風俗ってなんぞや?

 

僕は風俗ってものすごい密度の濃いコミュニケーションだと思うのです。

人間って(特に男性は)毎日のエブリディの中で周囲の人間には口に出来ないストレスや不安感、そして自分の中にある性癖があり、心の中で葛藤している。

 

こと性癖は、多かれ少なかれ「オレはこれで大丈夫なのか?」なんていう自分に対しての猜疑心なんてのも生み出すからちょっとやっかいw

しかもそれを周囲の人間に堂々といえる人なんて実際皆無に近いわけで。

 

だから悩む。

 

そして溜まるwww

 

 

なので風俗に行くと思うのです。

 

もちろん気の合う友人や会社の人たちとお酒を飲んだあとに

 

「じゃあ〆は風俗で♫」

 

なんてことも起こりますが。

 

(昔、友人たちと飲んでいて、じゃあって言って解散した後に風俗に行ったらみんな大集合してて爆笑したことがありましたw)

 

僕自身、それこそ風俗雑誌の編集をやめてしばらくは全く風俗に行かなかったのですが、ある時期に毎月のように風俗に行く時期がありました。

 

その時は何も考えていなかったのですが、後々になってふと思い返してみるとその時期は仕事でもプライベートでも悩みに悩みまくっていた時期だったのです。

 

で、当時付き合っていた彼女には悩みを相談しても「いや、もっと頑張れよ。男だろ!」みたいなことしか言われない。

 

そんな時に風俗に行くと、彼女たちはすべてを肯定してくれる。

 

もちろん、それはお金を払っているからという考え方もあるけど、根本的にはそれは飲み屋でも風俗でも変わらない。

 

大人って時としてお金を払っても、その対価として「肯定」されたいんだと思う。

その最上級のレベルが風俗だと思うのです。

 

なんて言うと、ちょっと大げさかもしれないけどあながち間違っていないと思う。

 

たとえお金を払った対価としての「大丈夫」だったとしても、それでちょっと元気が出たり自身が復活したり。

 

僕自身、誰にも言えないことを抱えているのですが(それは皆そうだと思う)、だから風俗で働いている女の子と普段何もない時に会話していても、彼女たちの他人を肯定する話し方や振る舞いはには助けられたりするわけです。

 

そこにばかり甘えるのは違うと思う、けどたまにはいいんじゃないかと思う。

 

なんてことをぼんやりと考えておりまして、何とか言葉にできそうだったので今日はちょっと日記にしてみました。

 

 

メルカリはじめましたw

久しぶりにメルカリをやってみました。

 

最近はアメカジではないし、もう昔ほど洋服にこだわりが無くなったし。。。

 

唯一のこだわりは清潔感くらいかなw

 

ってことでメルカリを久しぶりにはじめました。

と言っても、少しくらいしか放出できる洋服はないんですけどw

 

なかなかにコアなメーカーばかりなので売れるか不安www

 

 

ここだけの内緒の話

いつもPVが低いこのブログですが、だからこそ書けることもあるんだって今日思いました。

 

 

ちょっとここだけの話なんですけど、僕この間アソコの脱毛をしたんですよ!

 

除毛クリーム塗って。

 

 

生まれたてみたいになったんですけど、ちょっと袋の方の皮膚が負けてしまいまして。。。。。。

 

 

めっちゃメンタル持っていかれてますwwwww

 

 

現場からは以上です!

良いことも悪いことも全部含めてものすごく満たされている毎日に感謝です

さて、前回のブログから約1週間ほど時間が空きました。

 

こんにちは〜!

 

この1週間は自分の中で、改めて色んなことに向き合った1週間でした。

 

 

いいこともわるいことも。

 

その中で自分の中で色々と考えて、うまく言葉にはできないけれど何とか伝えたいことがあるので書いてみます。

文章を書くのは割りと得意なのですが、今の自分の気持ちをキチンと言語化するのが難しいんすけどw

 

でも、考えて考えて出てきた言葉は

 

「今は、もうそれだけで満たされているんだ」

 

です。

 

いつも不満や不安が頭や心の中にずっしりとのしかかっている人は多いと思います。

それは頭の中にあるだけで、今現在怒っている問題ではないのにです。

 

でも、頭の中の考え方と心の中の思いのズレがなくなると、驚くほどの満足感に満たされます。

 

ちょっとスピリチュアルな感じっすかw?

 

でもね、そうなんす。僕ら人間はめっちゃ頭が良いから悩んだり不安になったり、モヤモヤしたりするんですけど、

気持ちが満たされていると感じることができれば、その無駄な不安やもやもやは消えていきます。

 

それを僕はこの1週間で強く実感することができました。

 

 

今目の前にあることの数を数えてみると、めっちゃ満たされてませんか?

 

毎日住む家がある

食べるご飯がある

大事なパートナーがいる

仕事がある

生活できるだけのお金がある

 

僕たちはこれらが当たり前にあるように感じていますけど、これって凄いことっすよ!

 

この事実に気づいたキッカケはものすごくネガティブな出来事でした。

僕の人生でもトップクラスにネガティブな出来事。

 

でもね、その出来事に直面した時にあれやこれやとモヤモヤしても何も解決しないんですよね。

 

それよりも今目の前で一緒に人生を歩んでくれるパートナーと、自分を応援してくれる家族

そしてブログやツイッターでつながっている人たちのことを考えた時に

 

「ああ〜満たされてるし、これからもっと満ち足りていくんだな〜」って思いました。

 

 

不安な時やもやもやしている時って基本的に自分のことしか考えてないですよね?

 

でも、周りを見渡せばこんなにもステキな環境があるんです!

 

 

それを見つけた時に「今は、もうそれだけで満たされているんだ」と感じることができました♫

 

 

う〜ん、ちょっとうまくかけないんですけど、皆さんありがとうございますってまとめようと思いますw

どこにも吐き出せない時はココに書くという選択肢もあるのかもしれない

毎日毎日、どうしてこうも人生というやつは僕に試練を与えるのでしょうか?

 

20代後半でのうつ病

数年前の熊本地震

東京に出てきてからワーキングプア

 

世の中は行動しろという。

 

分かっている。

 

いつも行動を先にしてきたという自負もある。

 

 

地元の安定したホテルの仕事を辞め、カバンとちょっとの荷物で上京した時も。

人生に迷ってもうだめだと諦めそうなときも。

 

いつだって行動を主軸にしてやってきた。

 

でも、きっと、おそらくだけど方向性が間違っていたのだろう。

 

基本的にポジティブだねとよく言われる。

 

いつも楽しそうな言葉や笑顔だねとも。

 

 

本当にポジティブな人間は、そんなことを意識しながら生きてはいない。

 

だって意識する必要もないのが本当のポジティブ。

 

 

でも僕自身は、ポジティブでいようと毎朝思わないと基本的にはネガティブに陥りがち。

 

 

 

いつだって気をはって生きている。

 

 

楽しいんだけど、たまに少し疲れる時もある。

 

そんな自分を嫌いになりそうなときもある。

 

 

でもね、そこで踏ん張ってる!必死で踏ん張ってる!!

 

みんなそうだと思う。ぼくだけじゃない。

 

 

それでも、こうも人生というヤツが僕に試練を与えてくるとちょっと疲れるときもあるんだ。

 

 

 

ココ数日、決して書けないし言えないけど、大きな試練を前にしている。

 

しかも1つじゃない!いくつもあるんだよ!

 

 

 

負けそうだけど、でも絶対に負けたくはないから、今この文章を書いて少し心がスッキリしたから、また今からいつも通りの自分らしさを出して頑張る!

 

 

いつも通りに。

 

これからもいつも通り試練を与えてくる人生に楽しみながら立ち向かおうと思う。

 

 

しばらくさようなら豆腐メンタルな日々よ。